人気ブログランキング | 話題のタグを見る

9、JICAスタッフ田澤さんのこと_d0030915_22424835.jpg










私の左側に立って通訳をしてくださっているのがJICAの田澤さん。

旅の面白さは人との出会い、ふれあいだと思いますが今回の旅で
もっとも印象に残った人の一人はラオス人ではなくて日本人の現地
スタッフとして一緒に小学校をまわってくださった田澤さんです。

彼はラオスに来て一年とは思えない、見事なラオス語を話します。
彼がいなければ今回の旅はまったく異なったものになったことは
明らかです。

そしてそれは彼の優秀な言語能力のおかげはもちろんですがそれ
だけではなく何よりも彼の屈託の無さ、人を和ませる雰囲気のおかげ
でどんな場所で何を話していてもなんだかその場にいる全員がいつの
まにやら笑顔になっている、という彼の魔法のような魅力のおかげだと
感じました。

彼はいま30歳。あと一年ぐらいで一旦ラオスでの活動は終わる、と
のことでしたが、「まだしばらく海外にいたい」とおっしゃっていました。
彼はどこにいっても愛され、大切にされるような雰囲気を持っている
のできっとどこの国にいてもそれなりに幸せに生きていけるような気
がしてしまいますが、それでも彼はラオスという国にぴったりの人だ
と思います。

あまりにもぴったりだったのでどうしてラオスを選んだのですか?と
聞いたのですが、それほど明確にラオスに、というよりも選択肢が少な
くて結果的にラオスになった、というようなお話だったように記憶して
います。(違っていたらごめんなさい)

人は何かに導かれてその場所にいる。決して間違った場所にいること
はない、ということを私は信じていますが、彼を見ているとまさにその
ことを納得してしまうような人でした。

ラオスを旅している間中、出会った人はラオス人だけでなく、日本人
まで素敵な人だったというのが私の結論になりました。田澤さんとの
再会を楽しみにしています。

★次のページへ

★ラオス訪問記の目次へ戻る
# by silver_arch | 2011-01-08 22:28 | シルバーアーチ報告

イルン村。私達が訪れた村はいずれも心から歓迎してくださって
いるのが伝わってきたのですが、この村だけは格別でした。

それは石原さんが個人で支援を継続してきたことで村人との間に
深い信頼関係があることから生まれたものだと理解できました。
私たちまでまるで昔からの友人の歓迎してもらい、彼らの心の
温かさがひときわ伝わってきました。

どの村を訪問してもバーシーという彼らにとっては大切な儀式で
歓迎してくれるのは変わりませんが、この村では忘れられない場面
がありました。

バーシーの最後で村人がやってきてゲストのひとりひとりの手首に
木綿の糸を巻いてくれるのは同じなのですが、私の手首に糸を
撒いてくれた一人の男性が「ナガイキ、ナガイキ」と祈りのことばを
つぶやいてくれたのです!

彼はきっと「この祈りの言葉を日本語で言ったら何になるんだろう?」
と調べ、それを覚えて私達にわかるように、と祈ってくれたのです。

驚いた私が彼に思わず日本語で「ながいき?っていったの?」と聞い
たら「うんうん、そうそう」とでもいいたげに嬉しそうに首をたてにふって
「ナガイキ、ナガイキ」と繰り返します。私もなんだか楽しくなって彼に
「ナガイキ、ナガイキ」うんうん「ナガイキ、ナガイキ」と「ナガイキ」の
応酬がしばらく続きました。もし今回の人生で私の寿命がちょっと長め
になったとしたら、きっとこのときのオジサンと「ナガイキ」の祈りを交わ
したおかげかな~と楽しく思い出すことになるでしょう。

★次のページへ

★ラオス訪問記の目次へ戻る

同じ日の記録が美保さんのブログにもあります。
↑この記事のラストにある私のヘン顔写真はこどもたちの後ろから近づ
いていって「ワッ!」と驚かそうとする一瞬前だというのがその真相です。
# by silver_arch | 2011-01-07 22:12 | シルバーアーチ報告

今回の旅は想定外の出来事の連続だと書いておきましたが、この出来事
もまったく想像もしていなかったために、驚きと喜びがいっそう大きなもの
となりました。それはいくつかの小学校をまわったあと、ラオガム郡の教育
局をみんなで訪れたときのことでした。

スケジュールが押していたため、ちらっと寄って建物と事務所を見学する
だけだとみんなが思っていたのですが、建物の中に入るように勧められ、
会議室のようなところに入ると、すでにそこでは職員が集まっていて机に
はフルーツが用意されていて歓迎
ミーティングのようなことが始まりました。

教育局のトップの男性(ここは男性でしたがラオスではトップが女性の
ことも多く男女差の少ない社会だと感じました)がスピーチをしてJICAの
田澤さん(彼の見事なラオス語の通訳については改めて・・・)が通訳して
くれました。「一言で言えばありがとう、ということです。」

そうこうしているうちにペンと名簿のようなものが回ってきて名前を書く欄
がありましたので名前をローマ字表記で書きいれました。この時点では
それが何のためなのか?まったく理解していませんでした。

こちらもAEFAの石原さんが代表で挨拶をして今後もラオスへの支援を
どんな形で行うかを検討します、というメッセージを伝えてもらいました。

そのあとでスタッフが部屋に運び込んできたものはなんと額に入った
「感謝状」なのでした!あぁそれでさっき名前を書いたんだね!と納得。

ちなみに「この感謝状があるとラオスでは年金がたくさんもらえる?」という
ことでしたが詳細は不明です。(T▽T)

7、ラオスのラオガム郡の教育局から感謝状!_d0030915_2275687.jpg

★次のページへ

★ラオス訪問記の目次へ戻る
# by silver_arch | 2011-01-06 21:39 | シルバーアーチ報告

彼らの古い学校であるお寺を訪問した後でこどもたちの家庭訪問
をさせてもらえることになりました。

ラオスではどの家も高床式で基本的には同じようなつくりです。が、
よく見てみるとさまざまな違いが見つかります。そこには「デザイン」
と呼べるようなものが存在していたのは印象的でした。壁の一部に
青い星のようなものが彫られていたり、透かし彫りのような細工が
いたるところに見られます。かれらの心が豊かであることのこのよう
なことからも伝わってきます。

印象的だったのはそういう高床式の家の庭(?)に衛星放送のため
のパラボラアンテナのある家がかなりあった、ことでした。説明による
とタイの放送を見るためだそうで子供たちは小さい頃からタイのテレビ
を見ているためにタイ語はかなりわかるようです。

このあと床板一枚の家に「床が抜けないかな?」などと恐れつつも
みんなで上がらせてもらうことができました。

このあたりで気づき始めました。「ラオスには匂いがない」ということに。
家の中はモノは少ないながらも片付いていて荒んだ感じは受けません。
何より不思議だったのはどこにいっても匂いがしない、ということでした。

これは街中でもそうですし、どこでトイレを借りても、どんなに見た目は
ほこりっぽい服をきているような人に会っても体臭もしない、つまり匂い
を意識することがほとんどなかったのです。

外国に行くと大概その匂いが気になることで外国にきたなぁと感じる
ことが多かったので「ラオスの匂いの不在」は印象的でした。

「ラオスって不思議なぐらい匂いがしないよね?」と美保さんに話してみる
とやっぱりそう感じていたようでそれに驚いていた、とのことでした。

それとほとんどの場所でテレビやラジオなどの電気的な音が聞こえて
こないのは心の休まる、ありがたいことでした。家にはテレビはありますが
パソコン類は一切見ませんでした。ネットの設備はホテルなどには一応
ありましたが、それ以外の場所ではほとんど見かけませんでした。

家庭訪問はこのあともいくつかさせてもらったのですがどの家でも子供
達が水汲みなどよく働いているのが印象的でした。また親はみな、こども
をより上級の学校にいかせたいという希望を持っていることがどの家でも
強く伝わってきました。

★次のページへ

★ラオス訪問記の目次へ戻る
# by silver_arch | 2011-01-05 00:14 | シルバーアーチ報告

開校式の後で今まで学校として使われていたお寺を見学してみる
ことになりました。お寺までの道を歩きます。おそらく10分程度の
距離なのですが未舗装の穴ぼこだらけの道なので注意して歩かな
いと足をとられてひねってしまいそうです。

私達の歩いている道の両側に生えている潅木の葉っぱが赤茶けて
いるので枯れているのかな?と思ったら道路を通る車の巻き上げる
泥で汚れていたのでした。これは雨季になるときれいに葉っぱの泥
が流されてしっとりとした緑色が蘇ってそれは味わいのある風景に
なります、でも今度は道路が泥だらけになってしまうのでそれが大変
なのですが、と同行したAEFAスタッフの佐藤さんが教えてくれました。

ラオスは基本的に植物が多いので雨に濡れて緑の滴る風景は美しい
だろうな~と想像しながら歩きました。

お寺の中は部屋の真ん中に太鼓(?)があるので教室としてはとても
使いにくい間取りです。そこにたくさんの机と椅子をいれて50名以上
の子供達が座って私達を待っていました。

このお寺は屋根が窓を覆うようなつくりになっていて仮教室には照明
もないので昼間なのですがあまり明るくありません。「あ~こんな暗い
部屋でこどもたちは学んでいたんだね、学校ができて本当によかった!」
と改めて実感しました。

そんなことを思っていたら「子供達に授業をやってあげてください」と
いうリクエストがAEFAのスタッフからあったので懐かしい気持ちになり
つつも、ぶっつけ本番で日本の「和」の心をラオスのこどもたちに説明
してみました。

「みんな仲良くすること、勉強に困っているともだちがいたら助けて
あげること、私達がラオスに学校を建てたのもこの和の心からです」

このようなことをラオス語に訳してもらって伝えてもらいました。そのあと
彼らがいつも歌っている歌ということでラオス国歌を歌ってくれました。
そうなったら私達も日本の国家を歌わないわけにはいきません。

そういえば去年もスウェットロッジでみんなで歌ったなぁ、と思いつつ
日本人の同行者と共に君が代を歌ってきました。

ラオスのこどもはみんなで歌うときはとっても元気だけどひとりで発言
を求められるような場面ではとってもシャイだったのがなんだか日本人
と似ているような気がして親近感がわきました。

このあとも日本人とラオス人の心は子供も大人もそのあり方がよく似て
いるな~と実感することが何度もありました。

★次のページへ

★ラオス訪問記の目次へ戻る
# by silver_arch | 2011-01-04 23:04 | シルバーアーチ報告