ラオスの動物といっても特に変わった動物がいたわけではありません。

出会えたのは鳩、にわとり、犬、猫、牛、象など日本でも見かけるごく
普通の動物たちです。ところが彼らの「姿」は私に強い印象を残すこと
になりました。それは一体なんだったかというと・・・

彼らが鎖や檻などでつながれている姿を一切見ることがなかった、という
ことなのです。つまり全部放し飼い。大きな動物と小さな動物が仲良く
一つの村の中で暮らしている。そして彼らから感じるものは「リラックス」
だけなのです。

たとえばこんな場面がありました。村を歩いていたら私たちの通り道に
小さな焚き火の燃え残りが炭になっているような温かい場所がありました。
その場所を囲むように2匹の子犬が寝ているのが見えます。かわいいの
で近づいていくのですがまったく目を覚ます気配がありません。

すぐそばまで来てもピクリとも動きません (@_@)
さすがに心配になってちょっと体に触ってみたのですがそれでも動き
ません。「え、まさか、生きていないんじゃ!」と本気で心配になって指で
突付いて見たらやっと起き出して「・・・な、なんですかぁ~」みたいな
雰囲気がありありと伝わってきて「どんだけ人間を警戒してないんだよ!」
とミョーなツッコミをしたくなるような過激なリラックス度合いだったのです。

ここの動物はぜんぜんいじめられていない、弱いものに「しわ寄せ」が
本当にいっていないんだなぁ~、これって何だかすごいことかもしれないな~
と何か大事なものを発見したような気持ちになりました。

昔、グアムの裏側の細い通りをレンタカーで走っていて前方にいかにも
雰囲気の悪い犬の集団がいて彼らが案の定「カネを出せ!」とでもいうか
のように車に体当たりしてきた、というエグイ経験を持つ私としてはまるで
天国と地獄の両方を見せてもらったような気がしました。

動物たちの姿はそこに生活している人たちの心を映す鏡だと私は思って
います。日本はどうか?と考えると改善の余地が大いにあると思いますが
かつては日本も動物たちと仲良く暮らすことが出来ていたのではないか?
またそんな関係を回復できる、そんな希望を失わずにいきたいと思います。

ホテルでは庭に象が放し飼いにされていました。これも、驚きましたが
なかなか得がたい経験ができました。彼らは保護された象のようでしたが
毎朝、お客さんを乗せてホテル内を一周する、という「仕事」もあり、それに
乗せてもらう機会に恵まれました。道なき道をゆっくりと歩く象の背中の
上でなんともいえない幸せな時間を過ごすことができてこれも旅のいい
思い出になったのでありました。

この犬ね↓
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by silver_arch | 2011-01-11 10:41 | シルバーアーチ報告

ラオスでは美味しいものが多くてどれか一つを選ぶのが難しいのですが
コーヒー好きな私としてはやはりコーヒーを一番に挙げたいと思います。

どこにいっても料理は美味しかったのですが、飲み物としてコーヒーを
飲めたのは喫茶店(というよりは雑貨屋さんの店先に椅子とテーブルが
置いてある、みたいな雰囲気の場所)だけだったのですが大きな樹の
木陰で注文したアイスコーヒーは日本では味わえないタイプの飲み物
でした。

まずは先にお茶が出てきました。味がジャスミンのようなすっきりとした
タイプのものだったと思います。そのあとで私達が10人ぐらいのメンバー
だったのでアイスコーヒーがいろいろなグラスに入って(同じグラスが
足りないのね?)出てきました。

ホットコーヒーは下20%ぐらいに練乳が溜まっている、というコーヒーで
かき混ぜ具合によって甘さを調節するようでした。

アイスコーヒーはホットの3倍ぐらいの大きさのグラスに入って出てきた
のですが、なんというかコーヒーというよりはチョコっぽい味わい、ココア
のようななんとも表現しがたい味だったように記憶しています。これも練乳
が入っていたのだと思いますがコーヒー豆自体に甘みがあるのかもしれ
ません。

実はラオスコーヒーを買って帰ってきたのですが豆を見ると細かい粒と
大きな粒が混じりあっているような挽き具合なのできっと布フィルターで
淹れると良いのだろうと思うのですが今手元にないので淹れることができ
ません。などといっているうちに時間がたってしまうと風味が損なわれて
しまうのでしょうが。。。でも美味しいコーヒーの思い出は心にいつまでも
残るでしょう。

コーヒーがあったらアイスも、ということで近くにある美味しいと評判の
手作りアイスのお店にみんなで何度が出かけたのですが残念ながら、
最初は売り切れ、次はお休み、ととうとう最後まで縁が出来なくて食べる
ことができませんでした。これは次回の楽しみにとっておこうと思います。

ちなみにその代わりにタイ製のアイスを食べたのですが、これまた日本
では出会えない感じのちょっと氷っぽい薄味のアイスでありました。
しかし暑いラオスでは氷自体がとても貴重に思えたので味は二の次で
幸せな旅のヒトコマとなったのでした♪

★番外編へ(ラストです)

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by silver_arch | 2011-01-10 00:30 | シルバーアーチ報告

私の今回の訪問の目的の一つに現地のスタッフのみなさんと
直接会って話をしたい、ということがありました。日本でAEFAの
スタッフを通して現地の二人の女性スタッフ、ノンさんとニャイさん
の人柄を聞いて、きっとすばらしく有能な人たちなのだろう、と
想像してはいましたが実際に会った感想はそれ以上でした。

「この二人なら世界のどこにいてもどんな仕事を任せても立派
に仕事をするだろう」と思える人たちでした。

自分の仕事に対する自信と誇り、そして見事な準備と気配りが
随所になされているために、気配りがなされていることに気づか
ないままになりそうなぐらい、いろいろな場所で違和感無くすごす
ことができたのだと思います。これはひとえに現地スタッフのみな
さんが私達の訪問に対して心を込めて準備をきちんとしてくだ
さっていたからだだろう、といま振り返って思います。

ラオスから帰ってきて「不便だったことは何ひとつなかったなぁ!」
となどとのんきに思えてしまうのは私が段々とあまり細かいことが
気にならない性格になってきているせいかもしれませんが、やはり
それよりも彼らが不便のないようにといろいろと気配りをしてくだ
さったためではないか?と思えます。

彼らとの出会いの中で印象的だった場面を一つだけ。

最終的には一番話をすることになった男性スタッフが最初の日に
私にそっと話しかけてきた言葉が忘れられません。

その日、ピアラー小学校開校式の日は初日からの移動の連続、
そのあと到着していきなり始まった式典でスピーチをし、バーシー
の儀式に参加し、子供達とサッカーをして。。。と元気に(?)動い
ていた私のそばに彼がそっと私のそばにきて、

I know you are tired. (あなたは疲れているだろうね)

とつぶやいてくれたのです。

思わずはっとわれに返った一瞬でした。

そう、ものすごく新しい体験をして心は高揚しているけれど、張り切り
すぎてちょっと疲れているかもしれないな~、と自分の心を認めて
あげられて、なんだかほっとした一瞬になったのでした。

初対面の私に自然にそんなことができる彼の心のあり方は私の心
に深い印象を残したのでした。

彼は英語がしゃべれたのでそういうことを伝えることができたので
すが、そうでない人たちでも同じように人の心を察する能力が非常
に高いのだ、と感じる場面は他にも多くあったような気がします。

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by silver_arch | 2011-01-09 23:57 | シルバーアーチ報告

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私の左側に立って通訳をしてくださっているのがJICAの田澤さん。

旅の面白さは人との出会い、ふれあいだと思いますが今回の旅で
もっとも印象に残った人の一人はラオス人ではなくて日本人の現地
スタッフとして一緒に小学校をまわってくださった田澤さんです。

彼はラオスに来て一年とは思えない、見事なラオス語を話します。
彼がいなければ今回の旅はまったく異なったものになったことは
明らかです。

そしてそれは彼の優秀な言語能力のおかげはもちろんですがそれ
だけではなく何よりも彼の屈託の無さ、人を和ませる雰囲気のおかげ
でどんな場所で何を話していてもなんだかその場にいる全員がいつの
まにやら笑顔になっている、という彼の魔法のような魅力のおかげだと
感じました。

彼はいま30歳。あと一年ぐらいで一旦ラオスでの活動は終わる、と
のことでしたが、「まだしばらく海外にいたい」とおっしゃっていました。
彼はどこにいっても愛され、大切にされるような雰囲気を持っている
のできっとどこの国にいてもそれなりに幸せに生きていけるような気
がしてしまいますが、それでも彼はラオスという国にぴったりの人だ
と思います。

あまりにもぴったりだったのでどうしてラオスを選んだのですか?と
聞いたのですが、それほど明確にラオスに、というよりも選択肢が少な
くて結果的にラオスになった、というようなお話だったように記憶して
います。(違っていたらごめんなさい)

人は何かに導かれてその場所にいる。決して間違った場所にいること
はない、ということを私は信じていますが、彼を見ているとまさにその
ことを納得してしまうような人でした。

ラオスを旅している間中、出会った人はラオス人だけでなく、日本人
まで素敵な人だったというのが私の結論になりました。田澤さんとの
再会を楽しみにしています。

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by silver_arch | 2011-01-08 22:28 | シルバーアーチ報告

イルン村。私達が訪れた村はいずれも心から歓迎してくださって
いるのが伝わってきたのですが、この村だけは格別でした。

それは石原さんが個人で支援を継続してきたことで村人との間に
深い信頼関係があることから生まれたものだと理解できました。
私たちまでまるで昔からの友人の歓迎してもらい、彼らの心の
温かさがひときわ伝わってきました。

どの村を訪問してもバーシーという彼らにとっては大切な儀式で
歓迎してくれるのは変わりませんが、この村では忘れられない場面
がありました。

バーシーの最後で村人がやってきてゲストのひとりひとりの手首に
木綿の糸を巻いてくれるのは同じなのですが、私の手首に糸を
撒いてくれた一人の男性が「ナガイキ、ナガイキ」と祈りのことばを
つぶやいてくれたのです!

彼はきっと「この祈りの言葉を日本語で言ったら何になるんだろう?」
と調べ、それを覚えて私達にわかるように、と祈ってくれたのです。

驚いた私が彼に思わず日本語で「ながいき?っていったの?」と聞い
たら「うんうん、そうそう」とでもいいたげに嬉しそうに首をたてにふって
「ナガイキ、ナガイキ」と繰り返します。私もなんだか楽しくなって彼に
「ナガイキ、ナガイキ」うんうん「ナガイキ、ナガイキ」と「ナガイキ」の
応酬がしばらく続きました。もし今回の人生で私の寿命がちょっと長め
になったとしたら、きっとこのときのオジサンと「ナガイキ」の祈りを交わ
したおかげかな~と楽しく思い出すことになるでしょう。

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同じ日の記録が美保さんのブログにもあります。
↑この記事のラストにある私のヘン顔写真はこどもたちの後ろから近づ
いていって「ワッ!」と驚かそうとする一瞬前だというのがその真相です。
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by silver_arch | 2011-01-07 22:12 | シルバーアーチ報告

今回の旅は想定外の出来事の連続だと書いておきましたが、この出来事
もまったく想像もしていなかったために、驚きと喜びがいっそう大きなもの
となりました。それはいくつかの小学校をまわったあと、ラオガム郡の教育
局をみんなで訪れたときのことでした。

スケジュールが押していたため、ちらっと寄って建物と事務所を見学する
だけだとみんなが思っていたのですが、建物の中に入るように勧められ、
会議室のようなところに入ると、すでにそこでは職員が集まっていて机に
はフルーツが用意されていて歓迎
ミーティングのようなことが始まりました。

教育局のトップの男性(ここは男性でしたがラオスではトップが女性の
ことも多く男女差の少ない社会だと感じました)がスピーチをしてJICAの
田澤さん(彼の見事なラオス語の通訳については改めて・・・)が通訳して
くれました。「一言で言えばありがとう、ということです。」

そうこうしているうちにペンと名簿のようなものが回ってきて名前を書く欄
がありましたので名前をローマ字表記で書きいれました。この時点では
それが何のためなのか?まったく理解していませんでした。

こちらもAEFAの石原さんが代表で挨拶をして今後もラオスへの支援を
どんな形で行うかを検討します、というメッセージを伝えてもらいました。

そのあとでスタッフが部屋に運び込んできたものはなんと額に入った
「感謝状」なのでした!あぁそれでさっき名前を書いたんだね!と納得。

ちなみに「この感謝状があるとラオスでは年金がたくさんもらえる?」という
ことでしたが詳細は不明です。(T▽T)

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by silver_arch | 2011-01-06 21:39 | シルバーアーチ報告

彼らの古い学校であるお寺を訪問した後でこどもたちの家庭訪問
をさせてもらえることになりました。

ラオスではどの家も高床式で基本的には同じようなつくりです。が、
よく見てみるとさまざまな違いが見つかります。そこには「デザイン」
と呼べるようなものが存在していたのは印象的でした。壁の一部に
青い星のようなものが彫られていたり、透かし彫りのような細工が
いたるところに見られます。かれらの心が豊かであることのこのよう
なことからも伝わってきます。

印象的だったのはそういう高床式の家の庭(?)に衛星放送のため
のパラボラアンテナのある家がかなりあった、ことでした。説明による
とタイの放送を見るためだそうで子供たちは小さい頃からタイのテレビ
を見ているためにタイ語はかなりわかるようです。

このあと床板一枚の家に「床が抜けないかな?」などと恐れつつも
みんなで上がらせてもらうことができました。

このあたりで気づき始めました。「ラオスには匂いがない」ということに。
家の中はモノは少ないながらも片付いていて荒んだ感じは受けません。
何より不思議だったのはどこにいっても匂いがしない、ということでした。

これは街中でもそうですし、どこでトイレを借りても、どんなに見た目は
ほこりっぽい服をきているような人に会っても体臭もしない、つまり匂い
を意識することがほとんどなかったのです。

外国に行くと大概その匂いが気になることで外国にきたなぁと感じる
ことが多かったので「ラオスの匂いの不在」は印象的でした。

「ラオスって不思議なぐらい匂いがしないよね?」と美保さんに話してみる
とやっぱりそう感じていたようでそれに驚いていた、とのことでした。

それとほとんどの場所でテレビやラジオなどの電気的な音が聞こえて
こないのは心の休まる、ありがたいことでした。家にはテレビはありますが
パソコン類は一切見ませんでした。ネットの設備はホテルなどには一応
ありましたが、それ以外の場所ではほとんど見かけませんでした。

家庭訪問はこのあともいくつかさせてもらったのですがどの家でも子供
達が水汲みなどよく働いているのが印象的でした。また親はみな、こども
をより上級の学校にいかせたいという希望を持っていることがどの家でも
強く伝わってきました。

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by silver_arch | 2011-01-05 00:14 | シルバーアーチ報告

開校式の後で今まで学校として使われていたお寺を見学してみる
ことになりました。お寺までの道を歩きます。おそらく10分程度の
距離なのですが未舗装の穴ぼこだらけの道なので注意して歩かな
いと足をとられてひねってしまいそうです。

私達の歩いている道の両側に生えている潅木の葉っぱが赤茶けて
いるので枯れているのかな?と思ったら道路を通る車の巻き上げる
泥で汚れていたのでした。これは雨季になるときれいに葉っぱの泥
が流されてしっとりとした緑色が蘇ってそれは味わいのある風景に
なります、でも今度は道路が泥だらけになってしまうのでそれが大変
なのですが、と同行したAEFAスタッフの佐藤さんが教えてくれました。

ラオスは基本的に植物が多いので雨に濡れて緑の滴る風景は美しい
だろうな~と想像しながら歩きました。

お寺の中は部屋の真ん中に太鼓(?)があるので教室としてはとても
使いにくい間取りです。そこにたくさんの机と椅子をいれて50名以上
の子供達が座って私達を待っていました。

このお寺は屋根が窓を覆うようなつくりになっていて仮教室には照明
もないので昼間なのですがあまり明るくありません。「あ~こんな暗い
部屋でこどもたちは学んでいたんだね、学校ができて本当によかった!」
と改めて実感しました。

そんなことを思っていたら「子供達に授業をやってあげてください」と
いうリクエストがAEFAのスタッフからあったので懐かしい気持ちになり
つつも、ぶっつけ本番で日本の「和」の心をラオスのこどもたちに説明
してみました。

「みんな仲良くすること、勉強に困っているともだちがいたら助けて
あげること、私達がラオスに学校を建てたのもこの和の心からです」

このようなことをラオス語に訳してもらって伝えてもらいました。そのあと
彼らがいつも歌っている歌ということでラオス国歌を歌ってくれました。
そうなったら私達も日本の国家を歌わないわけにはいきません。

そういえば去年もスウェットロッジでみんなで歌ったなぁ、と思いつつ
日本人の同行者と共に君が代を歌ってきました。

ラオスのこどもはみんなで歌うときはとっても元気だけどひとりで発言
を求められるような場面ではとってもシャイだったのがなんだか日本人
と似ているような気がして親近感がわきました。

このあとも日本人とラオス人の心は子供も大人もそのあり方がよく似て
いるな~と実感することが何度もありました。

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by silver_arch | 2011-01-04 23:04 | シルバーアーチ報告

今回のラオスへの旅は想定外の体験がいっぱいあったのですが
これはある意味では必然のことでした。というのはラオスについて
事前にあまり調べることなく(情報も少なく、調べる時間もなかった)
現地入りしたのですから。。。体験することはすべて知らないこと
たった、といっていいと思います。

さまざまなできごとを「先入観無しに体験できる」というのは大人
になってからはラオスのような未知の国にでも出かけない限り、
不可能なことだと思うのでこれはとても贅沢な体験なのかもしれ
ません。

今日のトピックの「バーシー」という儀式も体験するまでまったく
知らないものだったのでまるごとの体験として味わうことができ、
非常に印象的な思い出となりました。

同行したスタッフはもちろんこの儀式を知っていて「これから村
の人にとってとっても大事な儀式が行われます」と教えてもらい、
建設途中の小学校の教室にみんなで入りました。

教室の真ん中に日本では見たことも無いカラフルな円錐形の
祭壇(?)が設置されています。大きなお皿にお米やお花などが
きれいに飾り付けてあり、素朴ながらも心のこもった手作りの
祭壇であることが見て取れます。(このあと訪れたどの村でも
この儀式はお客さんを歓迎し、その幸せをみんなで祈るために
行われるものであることがわかりました。村によって若干祭壇の
デザインが違っているのも興味深かったです)

祭壇の周りをゲストである私達が囲むようにすわり、村の長老、
シャーマン的な役割を果たしているように見える男性が儀式を
仕切ります。さらに私達の外側を村人たちが囲み、大きな同心
円が祭壇のまわりにできあがります。祭壇をみんなで囲んで
儀式が始まります。

長老が祈りをささげている間、私達は全員で祭壇に手を伸ばし、
触れています。ときおり「サー(?)」という祈りを全員で発します。
この声によってみんなの心がひとつとなって祭壇をよりしろとして
ラオスの神さま(?)がみんなの心を訪れてくるような雰囲気が
ありました。なんだかとても穏やかな、そして懐かしい気持ちに
なりました。

印象的だったのはこのあとで儀式の終わりは祭壇に捧げてある
木綿の糸の束を村人たちが外して、それを手に持って近づいて
きてわたしたちゲストの手首に撒いてくれたことでした。

その糸を手首に結びながら、祈りの言葉を唱えてくれます。
おそらくは健康、旅の無事など相手の幸せを願って唱えている
のでしょう。そしてそのことばにはカタチだけのことばではなく、
祈りが本来そうであるべき、相手の幸せを願う温かい想いが
こめられているのが伝わってきました。彼らのことばはまったく
理解できませんがその心ははっきりと伝わってきてこの儀式は
本当に幸せな儀式でした。

たくさんの人たちが糸を結んでくれるので両手首はあっというま
に真っ白になってしまします。でもそれは彼らからの感謝の印と
してとても嬉しい気持ちを私にもたらしてくれました。

↓美保さんも手首が真っ白に♪(包帯ではありません)

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その日、ホテルに戻ってからその糸の結び方を見てみるとカタ
結びというわけではないので外そうと思えば外れるのですが、
なんだか外す気になれなくて私は参加者の中でひとりだけだった
と思いますがラオスを離れる最終日まで結んだままにしておき
ました。

↑しかしこれはシャワーを浴びた後、糸がなかなか乾かないので
シャツの袖が濡れてしまうのがちとキモチワルカッタです。

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↓祭壇はこのような姿です。

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by silver_arch | 2011-01-03 21:44 | シルバーアーチ報告

パクセー空港で隣のラオス人男性と別れ、私たちはレンタカーに
乗り換えます。実はジョークだったのかどうかいまだにわからない
のですが、この旅をコーディネートしてくれたAEFAのスタッフの
金子さんから「ひょっとしたらトラックの荷台に乗ってもらうかも~」
といわれていたのでちゃんとしたトヨタのワンボックスカー(しかも
買って10日しか経っていないほぼ新車だったことがあとで判明♪)
だったので一安心。

とりあえず車は冷房が効いて乗り心地がよく、移動は快適なものに
なる…はずでした。というのはラオスの道路で舗装されているのは
幹線道路のみで私たちの向かう村までの道は未舗装だったのです。

それも日本の林道をイメージしてもらったら困ります。私は遊園地
に来たのか?これは遊園地のアトラクションだと思えば楽しいぞ~
というレベルの穴ぼこだらけの道だったのです。ゆっくり走っても
椅子から転げ落ちないように、壁にアタマをぶつけないように、と
気をつけていないといけません。

うわーまいったなぁ、こんな道があとどれぐらい続くの?&「来た」
ってことは同じ道を「帰る」ってことだよね~と走り始めて数分で
すごいところに来ちゃったぞぉ、という実感がわいてきました。

こういう道路は日本で写真で見せてもらっていたつもりでしたが
見るのと実際に走ってみるのとでは大違いでした。
といいつつも、勝手に思っていたよりは村まではずっと近くて、
それほどダメージはなくて済んだのでした。。。ホッ(^-^)

そしてこの旅における私たちのメインイベントの場所・ピアラー
小学校が視界に入ってきました!

とにかくたくさんの子ども達!そして彼らが校門から学校の校舎
まで2列になって通路を挟み、日本とラオスの手作りの国旗を
振っている光景が目に入ってきました。

この時点ですでに私はかなり驚いていました。「こんなにしっかり
した『開校式』だとは夢にも思っていなかった」のです。 (@_@)

事前にどんな感じになるのか?ある程度は聞いていたのですが
学校関係者は当然のこと、さまざまな教育関係、村の人たち、
その他のスタッフでこれだけの準備をするのは本当に大変だった
ろうな~と普段イベントを「行なう側」である自分としてはそんなこと
を考えて勝手に感動していたのです。

日本と違ってモノがない国ですからいろいろなもの(机・テントなど)
をいろいろなところから持ってきたり、移動したり、設置したりする
だけでとてつもないエネルギーが要るだろう・・・と感じたのです。

ただもちろんそんなことは私が勝手に想像しているだけで彼らは
微塵も私たちにそれを感じさせず、快適に過ごせるように、と彼らと
しては万全の準備をして私たちへの感謝の気持ちを表現してくれた
のだと思っています。そう思うだけで心がとても温かくなってきました。

飛行機で一緒になったラオスの彼が「ラオス人はコミュニケーション
能力が高いから、ラオス語がしゃべれなくてもぜんぜん大丈夫だよ、
ちゃんとあなたの心を読み取ってくれるから」といっていたのですが
これはそのあと何度もいろいろな場面で実感することになるのでした。

こういう相手に配慮し、察する能力は日本人とラオス人に非常に近い
ものを感じ、親近感を覚えるとともにこの国がいつか日本のように
発展していく可能性をも感じさせ、嬉しい気持ちになりました。

私の用意したスピーチは現地の優秀なスタッフによってちゃんと事前
に英語からラオス語に訳されていてラオスのこどもたちに伝えることが
できました。

この村に学校ができることをみんなが喜んでくれていることがその後
に行なわれた村長さんのスピーチからも伝わってきました。彼は自身
のスピーチのなかでおそらくは発音しにくいであろう私の名前を何度も
「正確に発音して感謝の気持ちを伝えよう」としてくれているのがちゃん
と伝わってきました。彼の純粋で素朴な姿が印象に残り、村の人たち
の学校への想いを知ることができたのも嬉しいことでした。

この学校にいる間中、すべての人が私たちに感謝を捧げてくれました。
特に印象的だったのは、もう帰る時間が近づいて車に乗ろうとしていた
ときのこと。おばあさんと小さな女の子が恐る恐る?私に近づいてきま
した。

小さな女の子はおそらくとってきたばかりの新鮮なパイナップルを手に
しています。でも私になかなか近づくことができません。おばあさんが
「さぁ、渡しなさい」とラオス語でいっていたのでしょう、やっと私のところ
にきてパイナップルをその小さな手でそっと手渡してくれました。

このプレゼントは私の人生でもっとも嬉しいものの一つになりました。
「学校を贈ってくれた日本の人にこのパイナップルを渡すんだよ」と、
おばあさんと小さな女の子が精一杯の心を込めて渡してくれたのです。
今思い出してもとても幸せな気持ちになります。そうだ、いつか落ちこ
んだときにはこの場面を思い出すことにしよう♪…そう思えるほど宝物
のような思い出になりました。嬉しかったです。

ちなみにこのパイナップルはその日の夕食のときにホテルでカットして
もらってみんなで食べました。それはそれは格別な味でした。ラオスの
果物は基本的にどれも新鮮で美味しかったのですが初日にこの出来事
があったせいか私はこのあとで出てきたパイナップルもことのほか美味
しく感じられました。

★この同じ一日の記録は美保さんのブログにもあります。

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by silver_arch | 2011-01-02 20:59 | シルバーアーチ報告

アジア学校建設プロジェクト・やすらぎの部屋『シルバーアーチ』基金の公式ブログです。