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アジア学校建設『シルバーアーチ基金』公式ブログ silverarch.exblog.jp

やすらぎの部屋・アジア学校建設プロジェクト『シルバーアーチ基金』の公式ブログです。


by silver_arch
久しぶりのお知らせです。

2022年3月31日、シルバーアーチ基金3つめのプロジェクトが決まりました。その後ニュースにもなっていたようにスリランカ国内でさまざまな変化があり、なかなか工事が始められない状況があったのですが、2023年2月21日に現地から着工式の画像が送られてきました。今回はスリランカ民主社会主義共和国、西部州サモダラ地区イルコーウィタ小中学校において、2教室の小校舎を建設するプロジェクトです。

近年のコロナのこともあって観光国であるスリランカも大きな影響を受けています。そのようななかでも、こうして工事が始まったことを心から嬉しく思います。

今回もAEFAさんとパートナーを組んでのプロジェクトです。スタッフの金子さんが以下の画像とレポートを送ってくださいました。ありがとうございます。今回もよろしくお願いいたします。いつか現地にいけることを心から楽しみにしています。


AEFA・金子さんからのメールの一部を以下に引用します。

スリランカより、1月29日に行われました、着工のための儀式の写真をお送りします。日本の地鎮祭にあたり、ココナッツの葉を編んだ祭壇に火をともし、工事の無事と完成を祈ります。また、着工のための基礎石を置く儀式も行われました。写真から、皆さんの祈りの想いが伝わってくるようです。無事の進行を心から願います。

スリランカでの教室建設プロジェクトの工事が始まりました。_d0030915_11545685.jpeg
スリランカでの教室建設プロジェクトの工事が始まりました。_d0030915_08590273.jpeg
スリランカでの教室建設プロジェクトの工事が始まりました。_d0030915_08584864.jpeg
スリランカでの教室建設プロジェクトの工事が始まりました。_d0030915_11513550.jpeg


# by silver_arch | 2023-02-22 09:04 | シルバーアーチ報告
2校目の学校が建設できました。_d0030915_07000341.jpg
2015年3月1日、シルバーアーチ基金によって
ラオスに2校目の学校が建設できました。
たくさんのご寄付をありがとうございました。

☆開校式のスピーチの動画(youtube)


# by silver_arch | 2015-03-05 05:49 | シルバーアーチ報告
やすらぎの部屋の各クラス生のみなさん、そしてチャリティイベント
シルバーアーチに関わってくださったすべての方々の力がひとつに
なって建設されたラオスの小学校の開校式に家族3人で出かけて
きました。


1、日本~バンコク~首都ビエンチャンへ
(お湯が出ないよっ&アジアカップサッカーの決勝が気になる~)

6時前に自宅を出て、8時半に成田着。タイ航空のカウンターには
みなさんすでに集まっていました。(今回の同行者は全部で10人)
まずは簡単な自己紹介をしてチェックインカウンターへ。ラオスに
持っていくために限度いっぱいまで使って大量の荷物を預けます。
一人20キロまでなので全部で200キロ!!

私たちは預ける荷物がなく、デイパックだけだったのでみなさんから
「旅慣れているね」と言われたのですが、単に荷物が多いのが苦手、
というだけです。今回はラオスとはいえ一応外国人向けのホテルに
宿泊と聞いていたので基本的に最低限の着替え以外は何ももって
行かず、汚れたら洗う、レベルで大丈夫だろうと踏んでいました。
実際「持ってくればよかった~」と後悔するようなものは一つもあり
ませんでした。

成田からの飛行機はほとんど揺れもせずトランジット地点のタイ・
バンコクに無事到着。ラオスへの乗り継ぎ時間に空港内のバーガー
キングで夕食。日本のバーガーキングも大盛り系ですが外国で
食べると笑えます。思ったとおり日本では見たこともないほど大きな
まるでコドモのバケツみたいなコップに入ったコーラがバンコクでも
出てきました。こういうのも海外にいることが実感できて楽しいもの
です。

そんなこんなで初日の宿泊地であるラオスの首都ビエンチャンの
ホテルに着いたのが午後10時ぐらい。時差が2時間あるので実際
にはここまでの移動に18時間かかったことになりますね。

チェエックインして部屋に入ると3人なのにベッドが二つしかない~!
どうやって寝るの?と思っていたらスタッフがやって来て簡易ベッド
を設置していってくれてほっと一安心。4階の部屋から外を見ると
街の明かりが少ないために暗くてよくわからないけれどどうやら
メコン川のすぐそばのようでした。もともとビエンチャン自体が川岸
にある、つまり首都がタイとの国境のすぐ近くに位置している、という
やや不思議な位置のためこのホテルもそんな場所にあるというわけ
です。

さて明日は早いのでシャワーを浴びようとしたらお湯が出ません!
さすがラオス!やられたよ~と思いつつもなんだか海外旅行っぽいぞ
と楽しくもなってきました。フロントに伝えようか、とも思ったのですが、
部屋を変える、とかなるとちょっと面倒くさいし、もしお湯そのものが
出ないなら何をしてもお湯は出ない可能性が高いと思って、早く寝た
いし、この日はあきらめました。アジアカップの決勝が気になって
テレビをつけてみましたが放送していなくて気になりつつもベッドに
入りました。

翌朝、他の部屋の人に「お湯出ました?」と聞いてみたら「出ましたよ」
と意外な返事が!シングルで泊まった人たちは2階だったので「むむ、
4階までお湯が来なかったのかなぁ?」などと間抜けなことを考えて
いたらふとお湯を出すのに蛇口をまわす方向が日本と左右逆だった
ことに気づきました (@_@)←遅いよ!

・・・でもやっぱりこういう間抜けなできごともなんだか楽しい、というか
旅はスムーズだと逆に面白くない、といってわざわざ失敗することも
ないけど。少しハイテンションになっていて落ち着いていればしないような
失敗をしでかしてしまう、ということでしょう。そういういつもと違う自分に
出会えるのが楽しい、、、とやや負け惜しみ気味ですが楽しめるものは
なんでも楽しんじゃおうというのは私が敬愛する高田純次氏から学んだ
ライフスタイルです。☆ちなみにラオスに持っていった本のうちの一冊
は彼の「適当日記」です。これは面白すぎるので公共の場所ででは
読まないことをお勧めします。

ホテルの下の通りは深夜遅くまで人が遊んでいるようでかなり賑やか
な夜という感じでした。翌朝は6時(!)にホテルを出て南部に移動する
ので首都ビエンチャンの魅惑の夜を体験することもせず、おとなしく寝る
ことにしました。

2、北部の首都ビエンチャンから朝イチで南部のパクセーへ

3、いきなりこんな立派な開校式!!一生分の感謝を受け取る?

4、『バーシー』という幸せな祈りの儀式

5、子ども達に日本の和の心を伝える

6、ラオスの家庭を訪問して。。。

7、ラオスのラオガム郡の教育局から感謝状!

8、AEFA・石原さんの支援が継続されているイルン村にて

9、JICAスタッフ田澤さんのこと

10、現地のVFIのスタッフに会って

11、ラオスのアイスコーヒーと食べ損ねた手作りアイス

12、番外編、ラオスの動物達
# by silver_arch | 2011-02-03 13:04 | シルバーアーチ報告
(ラオ航空の国内線(小さなプロペラ機)のなかで隣のラオス人
から聞いたこと…)

さて翌朝はシャワーを浴びることもなくホテルを出てラオ航空の
国内線で南部の町、パクセーに向かうために空港へと出発。
朝食はホテルで作ってもらったランチパックを空港の待合室で
いただきました。(チーズサンドイッチとみかんとバナナ、小ぶり
なりんご。基本的にフルーツはどこで食べても美味しかったです)

国内便で隣に座ったのは30代ぐらいのラオス人の男性でなんと
なく英語が話せる人のような気がして「speak English?」と
話しかけてみるとまるでそれを待っていたかのような満面の笑みで
「YES!!」(T▽T)

彼とはいろいろな話をした、というか話し好きな人だったようで
質問するとかなりいろんな話をしてくれました。・・・が、やや発音に
クセがあって知っている単語でも何度か聞きなおさないと何を言って
いるのかわからないことが多かったです。もちろん私の英語の語彙力
も不完全ですから彼のせいだけではないのですが。

彼が「カッパー」と言っているのが銅のことだと気づいたのは
名刺をもらって鉱石の仕事をしていることがわかってから、みたいな
レベルなので。。。

話しているうちにだんだんと「ジャパン」→「ジーパン」、「ラーニング」
→「レーニング」という感じにずれるのだと気づいてからは少し想像が
つくようになりましたが何度聞いても意味不明な単語がけっこうあって
中途半端な会話になってしまったのは残念でした。でも長く付き合えば
ちゃんと聞き取れるようになるでしょうし、文法的にはしっかり勉強した
人の話し方だと感じました。

私達がラオスに学校を建てていて今日はその開校式なんだと説明
すると「私達の国の未来にとってもっとも大事なことは教育だと思う」
と喜んでくれました。いろいろ話した中でも「ラオスではいまでも30%
もの国民がジャングルでほとんどその日暮らしのような状態で暮らし
ていて非常に貧しいのだ」という話は印象的でした。

私も「これからは国と国が色々なレベルで助け合って関係を築いて
いくことがお互いの国の安全、世界の平和にとって、もっとも重要だと
思う。だからラオスに来たんだ」と彼の会社の親会社が中国の会社で
あることを思いつつ日本人としての想いを伝えました。短い時間でした
が直接ラオスの人々の考えていることに触れていることができ、とても
有意義な出会いとなりました。

そうそう、この会話の途中でラオス人の彼から「サッカーの日本代表が
アジアカップで勝ったね!おめでとう!」と伝えられて驚くとともに同じ
アジア人の彼がそれを一緒に喜んでくれているのが伝わってきて
とってもうれしい気持ちになりました。(^-^)

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# by silver_arch | 2011-02-03 12:04 | シルバーアーチ報告
パクセー空港で隣のラオス人男性と別れ、私たちはレンタカーに
乗り換えます。実はジョークだったのかどうかいまだにわからない
のですが、この旅をコーディネートしてくれたAEFAのスタッフの
金子さんから「ひょっとしたらトラックの荷台に乗ってもらうかも~」
といわれていたのでちゃんとしたトヨタのワンボックスカー(しかも
買って10日しか経っていないほぼ新車だったことがあとで判明♪)
だったので一安心。

とりあえず車は冷房が効いて乗り心地がよく、移動は快適なものに
なる…はずでした。というのはラオスの道路で舗装されているのは
幹線道路のみで私たちの向かう村までの道は未舗装だったのです。

それも日本の林道をイメージしてもらったら困ります。私は遊園地
に来たのか?これは遊園地のアトラクションだと思えば楽しいぞ~
というレベルの穴ぼこだらけの道だったのです。ゆっくり走っても
椅子から転げ落ちないように、壁にアタマをぶつけないように、と
気をつけていないといけません。

うわーまいったなぁ、こんな道があとどれぐらい続くの?&「来た」
ってことは同じ道を「帰る」ってことだよね~と走り始めて数分で
すごいところに来ちゃったぞぉ、という実感がわいてきました。

こういう道路は日本で写真で見せてもらっていたつもりでしたが
見るのと実際に走ってみるのとでは大違いでした。
といいつつも、勝手に思っていたよりは村まではずっと近くて、
それほどダメージはなくて済んだのでした。。。ホッ(^-^)

そしてこの旅における私たちのメインイベントの場所・ピアラー
小学校が視界に入ってきました!

とにかくたくさんの子ども達!そして彼らが校門から学校の校舎
まで2列になって通路を挟み、日本とラオスの手作りの国旗を
振っている光景が目に入ってきました。

この時点ですでに私はかなり驚いていました。「こんなにしっかり
した『開校式』だとは夢にも思っていなかった」のです。 (@_@)

事前にどんな感じになるのか?ある程度は聞いていたのですが
学校関係者は当然のこと、さまざまな教育関係、村の人たち、
その他のスタッフでこれだけの準備をするのは本当に大変だった
ろうな~と普段イベントを「行なう側」である自分としてはそんなこと
を考えて勝手に感動していたのです。

日本と違ってモノがない国ですからいろいろなもの(机・テントなど)
をいろいろなところから持ってきたり、移動したり、設置したりする
だけでとてつもないエネルギーが要るだろう・・・と感じたのです。

ただもちろんそんなことは私が勝手に想像しているだけで彼らは
微塵も私たちにそれを感じさせず、快適に過ごせるように、と彼らと
しては万全の準備をして私たちへの感謝の気持ちを表現してくれた
のだと思っています。そう思うだけで心がとても温かくなってきました。

飛行機で一緒になったラオスの彼が「ラオス人はコミュニケーション
能力が高いから、ラオス語がしゃべれなくてもぜんぜん大丈夫だよ、
ちゃんとあなたの心を読み取ってくれるから」といっていたのですが
これはそのあと何度もいろいろな場面で実感することになるのでした。

こういう相手に配慮し、察する能力は日本人とラオス人に非常に近い
ものを感じ、親近感を覚えるとともにこの国がいつか日本のように
発展していく可能性をも感じさせ、嬉しい気持ちになりました。

私の用意したスピーチは現地の優秀なスタッフによってちゃんと事前
に英語からラオス語に訳されていてラオスのこどもたちに伝えることが
できました。

この村に学校ができることをみんなが喜んでくれていることがその後
に行なわれた村長さんのスピーチからも伝わってきました。彼は自身
のスピーチのなかでおそらくは発音しにくいであろう私の名前を何度も
「正確に発音して感謝の気持ちを伝えよう」としてくれているのがちゃん
と伝わってきました。彼の純粋で素朴な姿が印象に残り、村の人たち
の学校への想いを知ることができたのも嬉しいことでした。

この学校にいる間中、すべての人が私たちに感謝を捧げてくれました。
特に印象的だったのは、もう帰る時間が近づいて車に乗ろうとしていた
ときのこと。おばあさんと小さな女の子が恐る恐る?私に近づいてきま
した。

小さな女の子はおそらくとってきたばかりの新鮮なパイナップルを手に
しています。でも私になかなか近づくことができません。おばあさんが
「さぁ、渡しなさい」とラオス語でいっていたのでしょう、やっと私のところ
にきてパイナップルをその小さな手でそっと手渡してくれました。

このプレゼントは私の人生でもっとも嬉しいものの一つになりました。
「学校を贈ってくれた日本の人にこのパイナップルを渡すんだよ」と、
おばあさんと小さな女の子が精一杯の心を込めて渡してくれたのです。
今思い出してもとても幸せな気持ちになります。そうだ、いつか落ちこ
んだときにはこの場面を思い出すことにしよう♪…そう思えるほど宝物
のような思い出になりました。嬉しかったです。

ちなみにこのパイナップルはその日の夕食のときにホテルでカットして
もらってみんなで食べました。それはそれは格別な味でした。ラオスの
果物は基本的にどれも新鮮で美味しかったのですが初日にこの出来事
があったせいか私はこのあとで出てきたパイナップルもことのほか美味
しく感じられました。

★この同じ一日の記録は美保さんのブログにもあります。

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# by silver_arch | 2011-02-03 11:59 | シルバーアーチ報告